お姉ちゃん捜索記録

元ネタなのですが。こんな話を、ずいぶんと昔に聞きました*1。

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ある男が腹を空かせていた。

そこで、まんじゅうを一つ食べた。でもまだ空腹は満たされない。

二つ目のまんじゅうを食べた。でもまだ空腹は満たされない。

三つ目まんじゅうを一つ食べた。ようやく空腹は満たされて、男は言った。

「なんだ。はじめから三つ目のまんじゅう1つだけを食べればよかった。
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これがどれほど愚かな話かはわかると思うのですが…本当に理解できているのでしょうか?

使っているフレームワークの、関数の、システムの裏側はブラックボックスのままでよいです。

別に普段、HTTPやSMTPやその他プロトコルについて考え思いを馳せる必要もないです。

メモリとかCPUコストとかを意識する必要もありません。

ちゃんと学び理解しているのなら。

ブラックボックスは必要なら開いてホワイトボックスに出来るからこそ「必要な時までは」ブラックボックスでよいのです。

最低限一度以上はきちんとRFCを読み、また必要であるならいつでもそこに立ち返る事が可能であるからこそ「今この瞬間は」別に考えなくてもよいのです。

必要であればメモリ的にタイトなコードが組め、CPUがどう動いているかを理解し考察し、そのために必要なコードに置き換える事が出来るからこそ、「そこまでタイトな要求でなければ」そこまでを意識しなくてもよいのです。

やらない事は時として非常に大切ですが。

「出来なくてもよい」わけではないのです。

大切なのは「出来るけどやらない」。切り札は切らないためにあるものですが、同時に「それを持っている事」自体が交渉において強い圧力となるのです*2。

そうして、そうした基礎を学ぶためには、結局の所「結構泥臭い基礎」が必須かつ不可避なのです。

「メモリなんか意識しなくても大丈夫」「コンピュータアーキテクチャなんかわからなくても今は問題ない」その他諸々。とんでもない誤解です。

基礎が出来ていなければ、便利さの裏側にある「不便さ」を知らなければ、結局その先を十分に享受する事は出来ないのです。

一つ目と二つ目のまんじゅうを食べたからこそ、三つ目のまんじゅうで「満腹」という幸せを享受できるのです。

あなたは。

ちゃんと基礎を、裏側を、背景を知り、学んでいますか?

それとも、三つ目のまんじゅうだけを食べようとしていますか?

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笹田耕一伝説

otsune:

yugui:

t-a-d:

yugui:

「freenode管理者を呼びつけてIP制限解放」
「グッとガッツポーズしたらRubyが50倍速くなった」

あとは

「VMを作ったら彼女が50人できた」
「Matzに会うたび言語デザインを指南している事はあまりにも有名」

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この国では、まず肩書きがあり、その肩書きに照応するカタチで敬称が決定する。そこのところからようやく話が始まるのだ。で、固有名詞や肩書きの末尾に付加される呼称のグレードに応じて関係が形成され、言葉遣いが決定し、エレベーターへの乗降順やスナックでの着座位置が設定され、そうやってオレらの世間は動いているのである。

 もう、なんというのか、全部が全部サル山の順位付けオペレーションですよ。

 であるから、たとえば、「山田」と呼ぶのと「山田さん」と呼ぶのでは、言葉の使い方の根本がまるで違ってくる。

「山田ぁー、パン買ってこい」
「山田さん。パン買ってきました」

 語尾だけではない。動詞の選び方から、ラ行の音の巻き具合いから笑い方から息の抜き方に至るまで、すべての言語的要素が180度別のニュアンスで処理される。

 たとえば山田さんの笑い方は、「ぐぅわっはっは」。山田の笑い方は「ぅはははぁー」。これぐらい違う。

 しかも、同じ山田一郎が、部下の前で笑う時と、上司の前で笑う時に、違う笑い方を採用している。ここがポイントだ。周波数にして400ヘルツぐらい違う。部長のジョークに反応する時はさらに200ヘルツ上昇。妻の前ではふふ。愛人の前ではえへへへ。

 要するに、山田一郎という男の真骨頂は、彼のパーソナリティーや個性にあるわけではなくて、山田一郎がその時点で所属している組織の肩書きや、場における役割に依存している。だから、ナマの山田は言葉を持っていない。それゆえ、独り言を漏らす時、山田の口調は小学校6年生の段階に退行する。

「ちぇっ、やってらんないよ」
「もうやだ。やだやだやだ」

 ……なんという哀れな寝言。

 もしかして、山田の本体は、12歳で成長をやめているのかもしれない。やだやだやだやだと言っていたあの夏季講習の合宿の時点で。

 
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478 名前: 774RR 投稿日: 2009/11/05(木) 21:49:30 ID:uYwZeM3J
姉者に「妹になってくれないか?」って頼んでみたらOKされてしまった。orz
んで、今週末に紅葉見物ツーリングに逝く事になった訳だが・・・
夕食時・・・
姉「お母さん、土日、お兄ちゃんと旅行行ってくるねー」
母・俺「ポカーン」
母「アンタ頭でも打ったの?お兄ちゃんなんていないじゃない」
姉「いるさー!ここに!、ね!お 兄 ち ゃ ん !」じろっ
俺「姉さんヤメテ・・・俺、つらい、超つらい」プイッ
姉「あ、シカトした。お母さーん、お兄ちゃんが無視するー!」
母「哲哉ー、あんまり無視しちゃ駄目よ、お兄ちゃんでしょ?」
俺「何時、俺が兄になったよ?ツーリングの時だけって言ったじゃんよ。」
姉「えーヤダー。今日からー。駄目ならアナタって呼ぶ」
母「wwwwww」
俺「呼んでみろ、おっぱい揉むからな!」
姉「お願い、ア・ナ・タ」
俺「ぐにゅっ・・・けっ、巨乳が。妹ってのはなぁ!もっとちいさい(ry
・・・なんだよ!分る?
姉「差別だ!お兄ちゃんを糾弾する!」
俺「まだ言ってるよ、父さん!泣いてないで何か言ってや!」
父「・・・・・・」
母「早くたべてよー」

・・・とまぁこんな具合で兄妹タンデムツーが決定した
俺は何かを得て、何かを失ったような気がする
ウチの家族って変か?

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職業は、自分の意思で選ぶべきだ、と、『13歳のハローワーク』以来、とてもその点が強調されるようになった。職業こそが人生だよ、みたいな調子で。

が、自分がどんな職業に就きたいのか、という問いに答えるのは、実は簡単ではない。
 就業経験を持たない学生が、どうやって職業をイメージすることができるというのだ?
 というよりも、そもそも人は働きたいと思うものなのだろうか。

 人間には適性があって、天性があって、働く意欲が備わっていて、適職に対する強い意志がある、と、建前ではそういうことになっている。 
 が、だとすると、適性を見つけることができず、意欲を持てずにいるオレは、スタートラインの手前で既に失格なんではなかろうか、と、そういうことで悩む若者が、3割やそこらは出て来るはずだ。私は間違いなくそっちの組だ。

 とすれば、適性や意欲や自己実現や自分磨きや夢で会社を選ぶよりは、条件や世間体や見かけや倍率で会社を選ぶ方が、実際には楽だ。
 働くことを、単に経済的な手段として割り切ったり、職業を義務として考える方が、動きやすいという考え方だってある。

 働くことを自己実現とする見方の方がなんだか、それらしく聞こえる。
 でも、そういうふうに考えられない人間だっている。自己実現みたいなお話とは相性の悪い仕事もたくさんある。
 自己実現に結びつかない仕事をしている自分は不幸なのだ、と、「夢」と別の仕事をしている人間がそういう結論を出さねばならなくなるのだとすると、世の中で働いている人間の8割は不幸なのだ、と、そういう話になってしまう。
 これは不幸な考え方だ。
 
 職種だとか適性だとか生き甲斐だとかそういうこととは別に、「気持ちの良い職場で働けたらうれしいな」ぐらいで、就活に臨めるのであれば、そっちの方が良いと、私はそう思うのだが、こういう考え方は後ろ向きなのであろうか。

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でも保育園では何かをしてないと

気の毒そうにこっちを眺める先生の視線がいたかった。

だから一心不乱に滑り台をやった。

昨日、松岡修造がテレビに出てたが、あいつが画面に出てくると無編集でもほぼMADになっているので大変面白かった。
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